怖いまま、進んでいいのか
LIFE UPDATE LETTER Vol.354 Jul 24, 2026
【JOURNAL】怖いまま、進んでいいのか
先週のこのレターの最後に、こう書きました。「来週、十年以上『会いたい人リスト』のいちばん上にい続けた方に、ようやくお会いします」と。
その方に、お会いしました。
カナダのピアニスト、アレクサンドラ・ストレリスキさん。
ご存じない方のために、少しだけ。
ケベック生まれ、ポーランド系ユダヤ人の血をひく、ネオクラシカルの作曲家・ピアニストです。
2018年のアルバム『INSCAPE』は、カナダだけで18万枚以上を売り、ダブル・プラチナに認定されました。ピアノ一台の、インストゥルメンタル・アルバムで、です。世界20か国以上でクラシックチャートの1位となり、2018年末には、アメリカのApple Musicで年間クラシック・アルバムの首位に立ちました。翌年にはケベックのADISQ(フェリックス賞)を立て続けに受賞し、2020年、カナダ最高峰のJUNO賞で、インストゥルメンタル・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
彼女の音は、映画やドラマの中でも流れています。『ダラス・バイヤーズクラブ』のジャン=マルク・ヴァレ監督が、まだほとんど無名だった彼女の曲を見つけました。デビュー作の曲は、2014年のアカデミー賞の授賞式でも流れています。その後もヴァレ監督は、HBOの『Sharp Objects』や『ビッグ・リトル・ライズ』など、自身の作品で何度も彼女の音楽を使いました。
2023年の三作目『Néo-Romance』も、ADISQで最優秀女性アーティスト、そして「国際的な広がり」部門のアーティスト・オブ・ザ・イヤーなどを受賞。ツアーは2025年1月まで続き、ケベックと世界各地の満員の会場で、およそ10万人の前で演奏しました。ストリーミングの再生回数は、3億回を超えています。
ピアノだけで、ここまで来た人です。
でも、ぼくにとっての彼女は、そういう人ではありませんでした。
2018年、はじめての本を書くために、アイスランドに行きました。荒野を走り、宿にこもって書いていた十日間。あるとき、Apple Musicが、なぜか一枚のアルバムを流しました。それが『INSCAPE』でした。
以来、八年。朝も、夜も、疲れたときも、何千回と聴いてきました。あの本は、彼女の音がなければ書き上げられなかったと思います。コロナ禍も、大きな喪失も、絶望も、あの音のおかげでくぐり抜けることができました。
だから会いたかった。でも、会えるはずがないとも思っていました。
当日、ぼくは一日じゅう緊張して、何も手につきませんでした。おかしなもので、いつもなら緊張したときは彼女の音楽を聴けば落ち着くのに、その日ばかりは、聴けば聴くほど緊張しました。そのことを正直に伝えると、彼女は笑って、「その気持ち、わかります。でも緊張しなくていいですよ」と言ってくれました。
対話は一時間を超えました。魂の守り方、AIのこと、一流の人に共通するもの、これからの時代のこと。書きたいことばかりですが、今日は一つに絞ります。
ぼくがいちばん聴きたかったのは、あのアルバムがどう生まれたか、でした。
彼女は、こう話しはじめました。三十代のはじめから半ば、大きな実存的危機の中で書いた、と。当時、彼女は広告や映画の音楽をつくる会社の従業員でした。給料があり、上司がいて、九時五時で、広告のための音楽を作っていた。
「その仕事が嫌いだったわけじゃない。でも、しばらく続けると、魂が抜けたような状態になる。自分自身の表現を持たないかぎり、それは後から自分を苦しめに戻ってくる」
そして、燃え尽きた。
「燃え尽きって、ただ働きすぎることじゃないんです。”正しくない方向に”働きすぎること。完璧主義で、野心的で、他人のためによくあろうとして、自分を忘れて、擦り減るまで続ける」
「あれは、とても身体的なものです。ある症状が、自分に向かって叫びはじめる。私は頭痛でした。後頭部の。もう働けなくなって。ある日スタジオに行って、パソコンの前に座って、ただ泣いていました。理由もなく、朝の十一時に。そして、裏口から出て行きました」
ここで、ぼくは思わず言いました。実は二十年前、ぼくも広告業界にいて、同じように燃え尽きたことがある、と。
彼女は「それを聞けて、ある意味とても嬉しい」と言いました。同じ道を通った者どうしの、静かな空気が生まれた瞬間でした。
その渦中で、彼女は自分の音楽を書きはじめます。
「あの瞬間、はっきり分かったんです。『これは、私が本来歩むべき道を歩んでいないからだ。私は他人のためにやっていて、自分のためにやっていない』と」
そうして生まれたのが『INSCAPE』 ── inner landscapes、内なる風景、という意味です。
もし燃え尽きていなかったら、いまのあなたはいましたか。そう尋ねると、彼女は言いました。
「たぶん、ここには来ていない。あの大きな大きなサインが、私には必要だった。『この道以外に、私に道はない』という」
──ここまで聴いて、ぼくは最後の問いを出しました。この対話で、いちばん訊きたかったことでした。
あなたは、他人のための音楽から自分自身の音楽へ、モントリオールからロッテルダムへと、境界を越えてきた人です。実はぼくも、いま自分の転機にいます。古い生き方を静かに手放して、自分の声に賭けようとしている。もし、越える直前の自分に、たった一言かけられるとしたら——なんと言いますか。
彼女は、こう答えました。
「その道を進みなさい。あなたの本当の自分は、向こう側にいるから」
そして、続けました。
「あなたは、自分が道の上にいると、もう分かっているはず。だから、ただ従って、歩き続けて。それ自体が、すでにとても大きなこと。恐れの中を、歩き続けて。向こう側で見つかるのは——『本当の自分』というより、もっと満ちた自分、より完全で、成熟した、安定した自分です」
「移行は、とても不快で、苦しくて、怖い。でも、ただ歩き続けて。必要なら、盲目的にでも」
八年間、ぼくを支えてきた音の主が、いちばん聴きたかった言葉を、そのままくれました。
彼女の音楽は、なぜあんなに深く届くのか。それも訊きました。答えは、こうでした。
「正直、あれは本当は私のものじゃないんです。自分個人のものだと感じたことは、一度もない。何か、私よりずっと広いものに繋がっていて、それが私を通って流れているだけ。私が意識して選んだのは、それを”分かち合う”ということだけ。本当の仕事は、それを世界へ運ぶことです」
インタビューの全編は、近く配信します。魂の守り方、彼女が「暗闇の中で、誰かに訊いてほしかった、たった一つの問い」、そして最後に世界へ向けたメッセージ——どれも、ぼくには手放せない言葉ばかりでした。
どうぞ、楽しみにお待ちください。
そして、いまもし、あなたが何かを越えようとしていて、その手前で足がすくんでいるのなら。彼女の言葉を、そのままお渡しします。
その道を、進んでください。あなたの本当の自分は、向こう側にいます。
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会う、ということ。
「その道を進みなさい。あなたの本当の自分は、向こう側にいるから」──八年ごしに受け取ったこの言葉が、まだ胸の中で鳴っています。たぶんこれは、ぼくひとりへの言葉ではありません。ここから先は、それをあなたと分け合うための場所です。
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▼ 「あなたが今、いちばん超えたいものは何ですか?」──LIFE UPDATE LOUNGE Vol.13(8/27・みなとみらい)
今回の問いは、まさにこれでした。偶然ではあるのですが、彼女の言葉を聴いたあとでは、もうそうとしか思えなくなっています。
毎回、問いを一つだけ決めて、少人数で囲む夜です。役割も肩書きも、玄関に置いてきてください。ただの自分に戻って話す2時間。うまく話せなくても大丈夫です。聴いているだけでも、十分です。
なお、その場でぼくの公開インタビューを受けていただける1名の枠は、ありがたいことに、すでに埋まりました。以降はキャンセル待ちとして承ります。参加そのものは、まだ空きがあります。
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▼「もう分かっているはず」── パーソナルインタビュー
ストレリスキさんはこうも言いました。「あなたは、自分が道の上にいると、もう分かっているはず」と。
20年やってきて、いちばん不思議に思うのは、そこです。ちゃんと聴かれた人は、みなさん同じことをおっしゃいます。「答えは、すでに自分の中にあった」。ぼくが差し上げられるものは、何もありません。ただ、訊くだけです。羽生結弦さん、吉本ばななさん、ケヴィン・ケリーさん──2000人以上と重ねてきたのと同じ対話を、あなたお一人のためだけに行う60分です。
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▼ あの十日間に書いた本 ──『会う力』(新潮社)
今日のJOURNALに書いた、アイスランドの十日間。あのとき『INSCAPE』を聴きながら書いていたのが、この本です。
アポの取り方の教科書、という顔をしていますが、本当のところは違います。会い続けると人生に何が起きるのか。検索では手に入らない一次情報と、自分だけの「人生の教科書」が、どう増えていくのか。そのことだけを書きました。人と会うのが、いまだに苦手な人間が書いています。
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▼「会えるはずがない」と思っていた人に ──「会う力」養成講座
八年です。ぼく自身、ストレリスキさんに会いたいと思いながら、会えるはずがない、とも思っていました。それでも、会えました。特別な才能があったわけではありません。順番に、やり抜いただけです。
受講生の深谷さんも、接点ゼロだった憧れの方から「お会いしましょう」の返事をもらいました。心臓部は隔月のグループ相談会です。ぼくがいま世界の誰に、どうやって会いに行こうとしているのか──その現在進行形を分かち合いながら、あなたの「会いたい」を一緒に実現していく場です。
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【編集後記】天色(あまいろ)
十年ほど前でしょうか。ポッドキャストの収録で、北川八郎先生にはじめてお目にかかりました。そのとき先生が、お土産にくださったのが、パイロットの「色彩雫(いろしずく)」というインクでした。忘れもしません。
色の種類が驚くほど多いのも楽しいのですが、ぼくが好きなのは、この「天色」です。天の色、と書きます。あたたかみがあって、それでいて、ぼくの大好きな青。自分で買ったラミーの万年筆に入れて、ずっと愛用しています。
ぼくはピアノが弾けません。でも、このペンで書いていると、手が楽器になったような気がするのです。紙とペンが鍵盤になって、指が勝手に走っていく。何かが降りてくる、というのは、たぶんこういうことなのかもしれません。
ストレリスキさんも、こう言っていました。「あれは本当は私のものじゃない。何か、私よりずっと広いものが、私を通って流れているだけ」。
畏れ多いことですが、少しだけ、分かる気がしました。
それでは、どうぞすばらしい週末をお過ごしください。
早川 洋平
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▼ 英語版、はじめました
今週から、このマガジンの英語版を出しています。中身は同じです。同じインタビュー、同じエッセイが、英語で届きます。
インタビューという仕事をしていると、国境や国籍というものが、だんだんよく分からなくなってきます。人の話は、どこの国の人でも、同じところが震える。だから、境目なく飛んでいけたらと思っています。海外にお友達やご家族がいらっしゃったら、どうぞ教えてあげてください。
▶ LIFE UPDATE ── The Interview Magazine(英語版)
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LIFE UPDATE ──
人生を更新する、インタビューマガジン。
20年・国内外2000人以上との対話を続けてきた、早川洋平のインタビュー番組です。各界のトップランナーから市井のプロフェッショナルまで。音声(ポッドキャスト)を中心に、お届けしています。通勤の道で、家事の合間に、眠る前のひとときに。あなたの毎日に、そっと「更新」を。
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