早川洋平エッセイ〈33〉
故・髙田賢三さんの専属料理人を務めていた中山豊光さんがオーナーシェフを務めるTOYOのコースから。フレンチと和のフュージョンはどれも絶品だった。久々に訪れたいなと思う今日この頃です(パリのレストラン「TOYO」にて/筆者撮影)
それがほとんど最後の食事
人生のベストバイは何ですか?
ぼくが最近インタビュイー(インタビューの相手)によくする質問だ。雑誌でよくある「最近の」ベストバイであればガジェットや家電が特集されることが多いが、枕詞が「人生の」に変わると人は何を選ぶのだろう。そんな思いからこの質問を始めたのだが、直近にインタビューした二人の答えの本質に深く通ずるものがあったので紹介したい。
一人目は小説家の逢坂冬馬さん。独ソ戦における女性だけの狙撃小隊がたどる生と死を描いたデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)は第11回アガサ・クリスティ賞、2022年本屋大賞を受賞。第166回直木賞候補作にも選ばれるなど、いま最も旬な人だ。そんな彼にとって人生のベストバイは何か。大きな期待と幾多もの想像が膨らむが、返ってきたのは意外な答えだった。
「うーん、ほんとうに物欲が全然なくて、なんなら金銭欲もなくて(笑)本当にない……どうしよう。平凡なことばかりやってきたなあ」
そんな困り顔の逢坂さんがふと思いだすように話してくれたのがアガサ・クリスティ賞受賞時のエピソードだった。
昨年8月某日。午後5時。逢坂さんの携帯電話が鳴った。会社員の彼はトイレへ移動して同賞受賞の電話を受けた。「定時まであと1時間どういうテンションで仕事をしようかなと思った」とはにかむ。
幸いにも月末月初にかかる業務で多忙だったため時間はあっというまに過ぎ、退社時刻を迎えたという。そんな彼が帰宅前に珍しく買ったのが「平日は飲まない」と決めていたビールだった。だれもいない一人暮らしの部屋。夕飯を食べながらしみじみと飲む一杯。受賞をかみしめたひとときを逢坂さんはまるで小説のワンシーンを描くように話してくれた。
二人目は、こちらもベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)の著者で、東京大学定量生命科学研究所ゲノム再生研究分野教授の小林武彦さんだ。「基本的にモノは買わない」という小林さん。アウトドアが好きだから、しいていうなら釣り竿くらいかなあと呟きつつも、ふと収録現場の天井を仰ぎ見て彼は言った。
「4年ほど前に母親が亡くなりました。87歳だったから、悔いはないといえば無いんだけど。それで亡くなる前は最後入院していたんですね。食事もほとんど取れない状態になってしまって。人や大型の動物って食べられなくなるとどんどん弱ってしまいますよね」
毎日仕事帰りの夕方にお母さまを訪れたという小林さん。最後の日が近づきつつある、ある日のことだった。
「病院へ向かう途中の商店街でたまたまうなぎ弁当が売っていたんです。二千円くらいだったかな。うなぎは母の大好物。でも、食べられないだろうなあ。でも、あまりにおいしそうだった。だから、どうしても買ってあげたくなってしまったんです。最悪、自分が食べればいいかなって」
そしてお母さまの待つ病室へ。あまり期待せずにうなぎ弁当の包みをを小林さんが開けると「おいしそう! 少しだけ食べてみようかしら」と目を輝かせるお母さま。このときはもうほとんど食事が取れない状態だったにもかかわらず、一口また一口と箸を進め、結局は半分も食べたという。
「いやあ、うなぎっておいしいね」と声を弾ませるお母さま。いま思えばそれが「ほとんど最後の食事」となった。
「本当にあのとき買って行って良かった」としんみりと、でもどこか満たされたように話す小林さんの姿が印象的だった。
逢坂冬馬さんと小林武彦さん。分野は違えどふたりのプロフェッショナルには「ほとんど物欲がない」という共通点があった。そしてそんなふたりの人生のベストバイは、ともに「思い出」だった。(了)
■逢坂冬馬さんと早川洋平の対談
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■小林武彦さんと早川洋平の対談は8月リリース予定です。乞うご期待下さい!
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早川 洋平
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